開発ストーリー・シリーズ「開発者の思い」:第26回
電動ピペットの製品企画と開発(その2)
電動ピペットの製品企画と開発(その2)
前回の開発者の思いではマイクロピペットに関する市場調査結果について記載しましたが、特許申請前であった為、詳細な技術について記述することができませんでした。そこで、今回は、電動ピペットMPAシリーズの開発目標と、それを実現する為に 考案した機能について説明します。
手動ピペットが現在の形になってから、既に半世紀以上の時間を経ています。その意味では、販売されている手動ピペットは完成した形と言え、究極の研究器具であるといえます。
現在のピペットは、まずボタンを押すことでピストンを動かします。そして、ピストンの移動により発生する空気の差圧により、液体を吸引する方法となります。エアーデイスペンス式と呼ばれるのはこのためです。これらの原理は液体を安全に、かつ汚染なく計量&移動する手段として大変優れています。
現在国内では、手動で吸引・排出する通称:マニュアルタイプのピペットが市場の90%を占めており、また残りの10%となる電動タイプのうち、90%はチップが8または12個同時に装着できるマルチタイプとなっています。これらの背景から、電動シングルピペットの市場シェアは1%と非常に小さい事が推察されています。 この為、『シングルタイプの電動ピペットを新規に市場投入しても売れるはずは無い』との意見をピペット業界の多くの方からいただきました。何処に行っても聞かれるこの見解があり、また一方では、時々聞かれる『電動ピペットは便利なことは理解しているが、市場では増えておらず、市場が待っている商品』との意見もありました。これらの発言に当初はとまどいましたが、繰返し話しを聞くうちに、私はある確信を持つようになりました。それは、過去の電動ピペットが市場に受け入れられなかったのには、それなりの明確な理由があり、その理由を取り除くことが出来れば、マニュアルタイプの多くを電動に切り替えられるのでは、と考えるようになりました。
現在主流となっているマニュアルピペットの操作方法を見ると、シリンダの移動方向となる軸上で、操作ボタンを動かすこととなり、手でピペットを握りながら、軸上のボタン操作を行うのは結果的に親指の役目となります。この時、親指はピペットのヘッドに配置された操作ボタンを押すために、指の第二関節を垂直に立てて、その後ボタン操作の為、第一関節を水平に曲げる必要があり、かつその状態で親指先端にはシリンダを操作するために必要となる3、4kgの力が要求されます。
このように人の親指の動きを強制することには、大変な問題があります。それは人の指は樹上生活をするように進化した結果、親指は人差し指方向にしか無理なく曲がることができないように設計されているからです。 これらの推測からも容易に得られる結論は、手動ピペットの操作方法には人間工学的に大きな問題があり、短時間の操作でも、親指の腱鞘炎を招くという事です。
そこで、手動ピペットでは実現困難であったピペットの操作方法の改善を目指して、今回開発したMPAシリーズではピペット本体を親指とその他4本の指が物を掴む時と同じ自然な状態とし、人差し指を握ったままで、指の腹でシリンダの動きを制御するボタンを操作できるようにしました。
開発の実験で、連続5時間3000回以上、水の吸引&吐出を行っても、全く疲労感が無いことが証明されています。実はこの実験はリチウムイオン電池の寿命を確認するために行ったのですが、一人に5時間操作をやらせたと聞き、私は実験依頼者を叱りました。それは手動ピペットのイメージがあったので、実験担当者に大変な負担になったのではと心配になったためです。 しかし、翌日実験の担当者に聞くと、全く問題がなかったとの回答があり、私の心配は幸い杞憂に終わりました。
MPAでもチップを交換するときには、親指でリリースボタンを押しますが、親指にとっては水平方向を向いた状態での、上下運動となり、また操作力も約600gと小さいので、全く問題の無いことが確認されています。ちなみに人差し指の腹にかかる吸引吐出の操作力は、約300gとなります。
疲労は操作力だけでなく、力×移動量(≒操作時間)となる力積でとらえられると仮定すると、ピストン操作に関わるMPAでの疲労は、既存の手動ピペットと比較し1/100以下になると判断されます。
また、手動に比較して電動ピペットは重いと言われています。実際に重さのほとんどを占めるピストン部やピストン位置を決めるネジなどの機械的なハードウエアは電動と手動では変わらず、かつ電動化によるモーター、電池、電気基板などが追加されることで、電動ピペットの重量は手動に比較し、約1.5~2倍は重い事実があります。しかし、人の感じる重さの多くは、重心が支配しているといえます。つまり機器の重心位置が、手を握ったときに形成される握り軸上から、どれだけ離れているかの方が、持ちやすさの重要なポイントになっていると考えられます。
MPAでは約160gとなる自重の重心が、握り軸上からずれないよう、かつ表示部をコンパクトにして、可能な限り重心を下げたので、最初に持たれた方は必ず『軽いね!』と言われます。この他、電動の基本となる ①自動吸入&排出と、電動による長所となる ②連続分注 ③液体混合機能に特化した、シンプルな機能設定を重視しました。
また、μLによる容量表示とmgによる質量表示を選択可能とし、それぞれのモードで使用者自身による校正が簡単にできる機能を追加しました。特にmg表示では、液体と紛体の混合など、試薬や分析サンプルの作成時に単位を統一することにより、わずらわしく間違えやすい濃度設定を容易にしました。
MPAシリーズはシングルチャンネルの容量可変式電動ピペットとなります。設定機種は10/20/200/1200の4種類となり、数値は最大吸引&排出可能な容量[μL]で表示しています。この電動ピペットMPAシリーズが、医薬から食品や新素材、また環境測定の分野において、幅広い研究や臨床、分析におけるサンプル作成器具として利用され、使用現場での生産効率の改善、品質の向上、また研究現場で働く人の腱鞘炎などによる障害を低減できる器具として貢献できることを願っています。